首都圏で秋田の食材をPR
創業10年を期に新境地に挑む


有限会社三浦商店
代表取締役 三浦 一美 氏



 新幹線「こまち」の開業で、今や全国的に衆目を集めるわが秋田。その秋田が誇る名産品の数々を東京を中心に首都圏で懸命に売り込み、地歩を固めた企業がある。
 (有)三浦商店(横手市大屋新町字堂の前22−7)は昭和62年の創業以来、稲庭うどんをはじめとする秋田の様々な味覚を県外に紹介。昨年6月には東京・有楽町の交通会館にオープンした秋田ビジネスサポートセンター(BSC)に入居、東京での本拠地を構えたことでさらなる飛躍が期待される。
 今号では、当社の創業者である代表取締役 三浦一美さんに話を聞いてみた。

そもそも三浦商店は脱サラで始められたのですね・・・
三浦
●そうです。それまで私は石油製品を扱う会社に勤務してました。創業当時既に45歳で、年齢的にもギリギリの段階での選択でした。
それまでとは、全く畑違いの商売を選んだことになりますね・・・
三浦
●秋田にはすばらしい特産品がたくさんあるのに、県外へのPRができていないことに歯がゆさを覚えていました。また、昭和60年代に入ってから消費者のグルメ志向が高まっていたのも大きな理由です。
三浦さんが、最初に稲庭うどんを販売したきっかけは・・・。
三浦
●食品業界には全くの素人で知識もほとんどなく、いきおい営業に出てもどれだけさばけるかが読めない状態での創業でしたから・・・。そこで、日持ちがして保管面が楽な乾麺に目をつけた訳です。
 とはいっても、秋田しか知らない三浦さんが、いきなり東京へ出て営業をするのはかなり度胸がいったに違いない。稲庭うどんを詰め込んだ重い鞄を持ち、 来る日も来る日も知り合いを訪ね歩いた。
 当時、三浦さんには東京に学生時代からの親友が3人いた。秋葉原の電気店、都市銀行、食品商社とそれぞれ進んだ道は違っても、既に東京でそれなりの人脈を築いていた。三浦さんは、彼らが紹介してくれた企業をくまなくトランクセールスし、何とか取引きにこぎ着けることになる。


稲庭うどん
 
三浦さんの取引先第1号は・・・
三浦
●ある企業のギフト部門でした。この企業とは現在でも年間2500万円以上の取引があり、当社の重要な販売先のひとつとなっています。当社の場合、このように息の長い取引先がほとんどで、とても幸せなことだと思っています。
 ある程度取引先が確保できると、そこから購入あるいは贈答され稲庭うどんを食した消費者の中で、気に入ってくれた人はリピーターとなってまた利用する、というように顧客が徐々に増えることになる。実際、稲庭うどんに関する引き合いが倍々ゲームで増えてきたことから、当社では稲川町にあった既存の製麺業者に協力工場の契約を取り付けた。今までは、単にメーカーから商品を買ってそれを売りさばくだけだった当社が、いきおい自社ブランドを持つことになった。

三浦●私はどんな小さな取引でも、それが個人の方の場合でも、出会いを大事にしてきました。その積み重ねで今日があると思っていますし、その姿勢はこれからも決して変えるつもりはありません。
 そうした付き合いをしている中で、稲庭うどん以外の食材へのリクエストも出始めた。これとて、不断の努力によって培ってきた信用があればこそだろう。

三浦●ありがたいことです。持っていった商品を買ってもらうだけでも大変なのに、それ以外のものも納めてくれと言われるんですからね。それからですよ。果物や野菜、米、漬物などに着手したのは・・・。
 元々、秋田の食材を県外にPRすることに使命感を覚えてこの仕事に就いた三浦さんにとって、正に渡りに船といったところだったろう。そして三浦さんは、それが農業政策の変遷に悩まされてきた生産者の底上げにもつながるとふんだ。ところがアイテムを増やしていくうちに、首都圏では秋田が産地としてあまり認知されていないことへの憤りが募ってきたという。
三浦●お客様の中に、秋田でリンゴが取れるのを知らない人が多かったんです。青森リンゴや長野リンゴは知っていても・・・。野沢菜漬けは知っていても、いぶりがっこは知らなかったり。「これではいかん」と思いましたね。
 それからは、通信販売へ参入したり、県外での物産展や即売会に参画するなど、より積極的に営業展開。昨年には前述のBSCに入居、とうとう東京事務所を開設するまでになった。

三浦●名刺に東京事務所と印刷されているだけで、相手に対する印象はずいぶん違うはずです。BSCは1ブース1坪と狭いながらも、共有の会議室を使って商談や打合せができますからね。今までホテルのラウンジなどであわただしく済ませていたのとは雲泥の差です。

最近は、高速道路のサービスエリアにも納めてますね・・・
三浦●
3年前からです。これもヒョンなことから生まれた取引なんですよ。当社にバス広告の営業が来ていろいろ話をしているうちに、その会社でサービスエリアも経営していることを知り、「是非当社の商品を」と逆にセールスしてしまったんです。それが今では、諏訪、前沢、西仙北など計5カ所にもなりました。車の場合は荷物が苦にならないためか、けっこう客単価が高いのでバカになりません。できればこのあとできる湯田にも納入できたらと考えています。

三浦商店の成長のいちばんの要因は・・・
三浦●
アフターを含め、キメ細かなサービス以外の何者でもありません。商品の配送には運送業者を使っているんですが、発送後には必ず電話やFAXで連絡を入れますし、近県の場合は3回に1回は社員自らが持っていくようにしています。付き合いが長くなっても、受注したものを単に発送するといった無機質な取引だけはしたくない。そこでまたより強いつながりができるはずですから。スタッフわずか6名の当社なればこそできることです。大手商社では決してできないところで勝負するしかありません。

三浦商店の今年の戦略は・・・
三浦●
これからゴールデンウィークにかけては、行楽地やサービスエリアなどにテントを張って試食・即売会を行います。また、地元 横手にオープンする場外馬券売り場「アクトビジョン」に共同経営ですが飲食店を出します。これまで短期間の即売会というのは何度も行ってきましたが、常設の飲食店というのは初めてです。エンドユーザーと直に接することで、また新たな発見があると信じます。
 三浦商店は今年で創業丸10年。三浦さんにとっては「あっという間だった」そうだが、その間の様々な出会いが三浦さんの財産だという。そうした出会いを膨らませながらも、さらなる飛躍を目指し新境地に挑む三浦さんだ。

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