日本古来の下駄や草履が、生活様式の変化で靴やサンダルに押され、履物店の多くが転業や廃業に追い込まれた中で、北林履物店は「日本の伝統的な和服や祭りがなくならない限り履物は残る」という信念で厳しい時代を生き抜いて来た。今号では、同社の代表である北林靖朗さん(昭和14年生まれ)に話を聞いた。


「北林履物店」の代表 北林 靖朗 氏

 「初代のつもりで商売に取り組んでいます」と言う、二代目経営者の北林さんは、「私どもの店は、昔から同じ考え方で商売をやっております。それは、単にモノを売るのではなく、心を売る商いです」と、老舗の経営姿勢を語ってくれた。
 さらに、「現金仕入れや正札販売に徹し、ふだんは値引き販売をしません。年1回の創業祭の期間だけ、割り引きセールを実施しております」と、今も先代が築き上げた基本姿勢を誠実に守り通している。
 「昭和50年代が一番苦しかった」そうである。靴やサンダルが主流となり、履物業界が大きな転換期を迎えた頃である。それでも、「同業者がこの業界から去った分だけ、自店の客数と商圏は拡大する」という経営戦略に立ち、迷いもなく和装履物の道を堅持した。
 手作業で顧客の足に合わせて花緒を立てたりするような、高度な技術が要求される高級品の分野では、同業者がほとんど見当たらない状況となり、結果として地域に欠かすことの出来ない存在となった。


 全面ガラス張りの店内には、「一度は、履いてみたい」と思うようなおしゃれな履物や和装関連小物が整然と陳列され、和風イメージのディスプレーが一層商品を引き立てている。奥の正面には、昔ながらの座売り場があり、お客との新しい会話が生まれ、より絆(きずな)が深まる雰囲気がある。
 北林さんの「商売に直接関係ない分野も積極的に学んできた」姿勢は、斬新な発想として、商売のすみずみに活かされている。3年に1回実施している店内改装にも、そうした姿勢で取り組み、木の香りを大切にしながらも最近のトレンドをさりげなく取り入れている。
 こうした考え方は、商品構成にも反映されている。主力商品の下駄や草履に加え、同じ商品はおかないという方針で、一品主義に徹した創作バック、シルクの高級傘、小売店発想で開発された手書きのエプロン・風呂敷き・Tシャツなど、伝統と流行が調和したオリジナル商品が豊富に並ぶ店内。従来からの固定客に加えて、新たに若い層の顧客を取り込む秘訣は、ここら辺にありそうだ。


「北林履物店」店内


 「わたしどもの店は、昔から良いお客様に恵まれております(妻の京子さん)」と言った言葉がとても印象的で、いつの時代にあっても夫婦で誠実にやってこられた様子が目に浮かぶ。そして最近では、「秋田市や男鹿市など、遠くからのお客様が増えていることが特にうれしい」と言う。

 お客様に心から満足して買っていただくために、京子さんは「親身になってお客様の欲しいものを聞くように努めております。私たちから見ても高級品と思うだけに、決して無理に勧めるようなことはいたしません。お客様が少しでも迷ったり、万一欲しいものが無かった場合は、またのおいでをお待ちしています」と語り、あくまでも自然体な接客に徹している。


 仕入れで月1回は夫婦で上京、11社の取引先をこまめに回り、自分の眼で確かめ納得した商品だけを仕入れている。仕入れた商品はほとんど売れ残ることがないというから素晴らしい。上京の際に美術館などを回り一流のモノに触れる機会を作っていることが、感性をみがき、確かな仕入の目を養っているようだ。
 一朝一夕で築くことが出来ない感性が、目に見えない武器となり、当社の地位を独自なものとしている。また、その感性に支えられた一言一言が、顧客からの信頼を勝ち取っている。
 北林さんは最後に、「数年前からの浴衣ブームなどで和装の履物が見直され、スーパー等大型店でも扱っていますが、技術の習得や接客に手間暇のかかる高級品には、参入してきません。ここら辺に専門店として生き残る道が、あるのではないでしょうか」と、語ってくれた。

 当小売商業支援センターの活性化相談員を務める牧野正弘氏(能代市在住)は、「人・物・金などの経営資源はもちろんですが、商品を選ぶ確かな感性や老舗の暖簾など“目に見えない経営資源”をコツコツと積み上げたこと、自店の主張を明確に打ち出していること、それに商売好きな奥様の感性もプラスしていることなどが、北林履物店さんの強みにつながっている」と、分析している。

CORPORATION DATA

 ■社  名 有限会社 北林履物店
 ■所在地  能代市柳町13−14
 ■創  業 昭和元年(1926年)
 ■代表者名 北林 靖朗
 ■電  話 0185(52)6038
 ■事業内容

  和装履物の販売
                  

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