東京駅のなかの「秋田」から考える

(財)秋田県中小企業振興公社
常務理事
中小企業情報センター所長 
加賀谷 長之 氏

京駅の構内には、いたる所に秋田新幹線の案内表示があります(下の写真は中央乗車口のもの)。これは「こまち号」が開業した1997年3月以降のことで、東京駅での乗り降りのたびに、私はそれを数えているのですが、まだ数え切れてはいません。おそらく数百カ所あるのではないでしょうか。
中央搭乗口案内表示  何んでこの話をするかといえば、日本の玄関口である東京駅に多くの「秋田」の文字を見つけることは、秋田のPRにどれほど役立っているか計り知れないことと、秋田のこれからにとってPRがいかに大切なものであるかを、日頃、考えているためなのです。
 いま、秋田が抱えている課題を私なりに整理してみると、1つは、作ったものをもっともっと広く売り出すということ、あと1つは、なかなか歯止めがかからない自然人口の減少に対処するため、交流人口をどのようにして殖やしていくかということだと思います。
 そして、目差す市場は東京であり、多くの人びとに来てもらうのも東京からです。
 それには秋田の存在を東京へ更に更に訴えなくてはなりません。これまでも民間、行政ともにさまざまな努力をしてきましたが、必ずしも浸透しているとはいえないようです。
 よく、秋田は宣伝下手だと揶揄され、ともすれば自分たちもそのように思いがちですが、決してそんなことはありません。「秋田県民歌」の1番の歌詞を思い浮かべてください。これぞ観光宣伝の歌ではありませんか。種苗交換会は、全国に先駆けて秋田が始めた大イベントの走りであり、それは120年余の間、現在まで連綿と続いてきています。また、最近の例では「あきたこまち」があげられ、そのネーミングの良さに加え、JAと県とがPRに力を入れたため、あっという間に人気ブランドのコシヒカリやササニシキに肩を並べるようになり、これを契機に全国で米の名前が大きく変わったほどです。秋田は、潜在的に宣伝能力に勝れています。
 私たちは私たちの身の回りにある良いものを、作ったものを、そして、自然な自然を力を合わせて、東京へもっともっとPRしようではありませんか。
 東京駅の「秋田」の文字は、秋田のこれからが輝かしいものになることを、示唆していると思うのです。

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