99年があけて1週間たった1月8日、吹雪の秋田道を走り抜け仙台空港へ。初仕事のフライトである。20日までの12日間、秋田より更に寒い中国東北方面へホットなビジネスのために出掛けた。大連、長春、吉林、上海、北京そして大連へと駆け巡った。
ちょうど浙江省杭州市で1月14日から16日の3日間「’98年全国都市交通学会公共バス・タクシー委員会学術大会」に招待され、「清潔燃料自動車としてのLPGの優位性」というスピーチをするためである。弊社の大連、上海、長春の3事務所から5名動員して対応した。3日間に及ぶLPG部品の展示、パンフレットの配布、そして商談である。
この会議には中国各地から150もの都市の代表や学者が集い、熱い議論を戦わせた。
中国中央政府は97年に緊急声明を発し、2003年までに大気汚染の主要原因であるCO、CO2、HC、NOx、の半減の命令を下したのである。清潔燃料はいわゆる低公害燃料のことで、主にLPG(液化石油ガス)、CNG(圧縮天然ガス)が主なガス燃料である。
この会議に先立つ98年12月2日から6日までの5日間にわたって「’98年中国電気自動車・清潔燃料自動車研究会・展示会」があり、私共は長春第1汽車公司(「第1自動車会社」の意)及び長春市人民政府と共同して、第1汽車自慢のフォルクスワーゲン製ジェッタの新車を日本に運んで北京の展示会用にLPGとガソリンの併用燃料車に改造したのである。
北京での展示会には吉林工業大学自動車研究所の指導教授らも顔を見せ、多くの全国の友人たちにも紹介してくれた。世界からはオランダ、イタリア、オーストラリア、アメリカ、カナダ等々のLPG、CNG先進国に混ざって、日本側からは弊社1社の出展である。これは10数年に及ぶ長春市人民政府要人との交友の結晶でもある。
このときに、国連環境計画の事業として中国の大気汚染が、もはや1国の環境問題の域を超えて地球規模の問題となっていることを交遊関係で知り、その中国側の責任者が私の友人であったことから、早いテンポの事業化となったのである。
この2つの研究会での反響はすさまじく、遂に北京、上海、深土川 の交通局からも部品の注文が入る等、体が2つや3つでは足りず、北京や成都の事務所や代理店も動員しての中国全土に及ぶ事業となりつつある。最終的な事業の成功までには予断を許さず、紆余曲折もあると思う。
さらに1月28日から2月8日までの12日間で、ついに中国唯一の「緑色燃料車」(「公害の少ない車」の意)の認定を与える、北京汽車研究所のエミッション試験を受けることが可能となった。その結果は春節あけであるが、若しパスすることになれば、もちろん第1号である。これは、些細でも大きな希望のあるビジネスである。
弊社の中国での業務は、野菜の委託栽培・輸入、木工品の委託加工、工業製品の輸入、そして今回のような自動車・機械部品の輸出と各種コンサルタントであった。これらは貿易業を営む会社の事業そのもので、後発の極小企業にとって危険極まりない内容と思えた。自社開発製品の野菜鮮度システム「シャキット君」はほんの10数台の販売、開発途中の健康診断用「脈波診断器」はまだまだである。
しかし事業は単に企業として金儲けする時代は終焉し、個性ある人間の集合体としての企業が、その特色を活かして広く社会に貢献し、その反射的利益としての果実を入手できるものと思う。ましてや「人脈と人治の国」中国では、高次元の経営品質が問われているものと思い、日々研鑽させていただいている。
私の行動哲学に基づき、第1に目標を立て、第2に計画を立て、第3に速やかにして果敢に行動することで、挫折感の漂う中国ビジネスに一明を灯したいと思っている。
さあ、一度自分の足で、目で中国を見てみては!?
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