「観ようと思えば見える」

秋田県立大学教授・理学博士
 菊地 勝弘 氏


「観ようと思えば見える」。冒頭から耳にしたことも、眼にしたこともないフレーズで恐縮している。それもその筈、このフレーズは、私が30数年来、卒業する私の研究室の学生への送る言葉として、また、結婚式での媒酌人の挨拶で新郎への贈る言葉として、機会あるごとに使っているもので、私のオリジナルなのである。
 縁あって、この4月に新設開校した秋田県立大学で再び若い学生を教育し、一緒に研究する機会を持つことになった。講義を聴く若い学生たちの輝いた瞳を見ると、自分までもが活力を与えられたような気になり、とても楽しいのである。
 私は、前任地の北海道大学理学部地球物理学教室で、1957年から雪の結晶を世界で初めて実験室の中で成長させることに成功し、雪の博士として著名な故中谷宇吉郎教授と、その愛弟子で、降雪現象、雷電気の発生機構などに数々の業績を挙げられた私の恩師、故孫野長治教授の薫陶を受けることが出来た。1957年はまた、日本の南極観測が始まった年でもあった。研究室では、石狩平野の降雪機構や雷電気の発生機構の研究に従事した。
 そのような環境が幸いしたのであろう、私は1967年11月から1969年3月まで、第9次日本南極地域観測隊越冬隊員として、昭和基地で気象学の研究観測に従事する機会に恵まれた。雪の結晶の顕微鏡写真観測もその中の一項目であった。昭和基地では、太陽が昇らない夜だけの冬が6月1日から7月13日頃迄続き、僅かに太陽が地平線に顔を出し始めた7月17・18日にわたって、まったく奇妙な形をした新しい雪の結晶をいくつも発見したのである。翌年5月、帰国して、これらの結晶の発見を日本気象学会で発表したところ、この分野の大先達の面々から、そんな雪の結晶がある筈はない、霜の結晶ではないか、と一蹴されてしまった。しかし、私の先生だけは信じていてくれた。そんな悔しさから、次の冬も、またその次の冬も、北海道のあちこちで降る雪を、、これまで以上に精査することに努めた。その結果、昭和基地で発見した新しい結晶が次々と見つかったのである。その後、南極点基地や、カナダやグリーンランドの北極域にも出かけ、これらの結晶は、氷点下25℃以下の低温の条件下で成長し、多い時には全結晶の数%にもなることが分かったのでる。勿論、実験室で人工的に成長させることにも成功したのである。菊地の「あの雪の結晶」は、こうして、今では世界で公認されるようになった。この研究を始めとして、数多くの気象学の研究に対して、平成9年度には「気象学研究功績」により、紫綬褒賞を受賞することが出来た。
 それにしても思うには、雪の結晶は、外形が六方対称の「あの形」をしたものだという、多くの人々が描いている既成観念が、新しい発見を疎外していたのではないだろうか?日常の仕事の中で、ただ漫然と毎日の継続を繰り返してはいないだろうか?
 冒頭のフレーズは、「観よう、観察しよう、という心構えをいつでも持っていれば、普通は見えない、気が付かないことでも、自然と見えてくる。気が付くようになる」ということを、私の体験をもとに表現したものである。観る、と、見る、との違いはそんな風に違うのだということを、僅か1mmにも充たない雪の結晶を例にして紹介した。
 今の時代だからこそ、企業の中でも生きるフレーズだと思うのだけれど。勿論、県立大学の学生にも使い始めているのだが。

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