タイトル-特別企画
新春グータン 秋田から世界へ向けて仕事ができる ―社長・社員と夢を共にし、仕事に感性を生かす一

 今号は新春特別企画として、県内で活躍されている三名の女性にお集まりいただき、それぞれの先進的な取り組み、経営者としての考え、女性ならではのビジネス観、秋田への思い、財団法人あきた企業活性化センターへの期待などをお話していただきました。それぞれ初対面の三者対談となりましたが、大好きな仕事について、趣味の話をするように自由な意見交換がされた2時間。お互いに共通点や共感できる考えを発見していただけたようです。
(グータン:楽しくリラックスした趣味の時間)


 菊地けい子
菊地合板木工株式会社 監査役

 昭和35年創業の、和室造作材、建具メーカー、菊地合板木工株式会社の監査役として、夫である社長を補佐し、自社ブランド、大手メーカーへの製品供給を行う。平成12年に、中国山東省に合弁会社を設立、平成18年には現地に青島事務所を開設。
 経営改革総合支援事業(フェニックスプラン21)に「ヨーロッパ市場に受け入れられる障子スクリーンの開発と、それを活かしての会社の体質改革プラン」が採択されている。


 住田夏子(コーディネーター)
有限会社オフィスエブリ 取締役社長

 大手化粧品会社S秋田販売(株)に7年勤務。その間、シンガポール海外派遣を経験。その後、秋田市内の広告企画会社に入社し、広告、デザインを中心にクライアントの販売促進を15年行う。平成16年6月、有限会社オフィスエブリを設立。企業のマーケティング・SPプランニング・広告デザイン・商品化計画・新規事業の立ち上げ支援を行っている。


 山ア裕子
山アダイカスト株式会社
取締役社長秘書 兼 秋田工場総務部長役

 亜鉛合金、アルミニウム合金、マグネシウム合金ダイカストの金型設計、金型製作、試作加工、鋳造、加工組立を主要事業とする同社にあって、父親でもある社長の右腕として、生産管理、販路開拓などに活躍。
 経営改革総合支援事業(フェニックスプラン21)に、人材育成支援事業「アルミニウムホットチャンバーダイカストマシンによる自動車産業への参入」が採択されている。

住田:私を含め、菊地さん、山アさん、お互い初めてお会いしましたが、お二人はそれぞれの業種・業態の中で活躍していらっしゃいます。仕事の内容や秋田への思いなど詳しくお伺いしていきたいと思っております。初めに、菊地さんの方から事業内容を教えていただけますか。
菊地:私ども菊地合板木工は集成材メーカーで、和室造作材、建具などの製品を市場に供給しております。現在、五城目本社、東京営業所など含めて国内に109名の社員がおりますが、ほとんどが正社員です。今回、建具部門の立て直しをするための販路開拓をしたいと、(財)あきた企業活性化センター(以降、センター)のフェニックスプラン21へ申請したところ採択していただきました。住宅着工数が減り、特に和室は年々減少傾向にあります。マーケットがだんだん小さくなっていく中で、厳しい競争に耐えて生き残るため、中国に出る決断をして、平成12年に中国に合弁会社を設立いたしました。出るにあたって、社員に「五城目本社を初めとする各営業所の雇用を守るために行くのだ」と、よく説明したようです。社員もよく理解してくれて、中国工場の現地スタッフと非常に良い関係を保ちながら支え合っております。山東省にある中国工場に行った際には、中国の若い人たちが一生懸命私どもの製品を作ってくれていて、胸が熱くなりましたね。
住田:素晴らしいですね。山アさんの方も海外に進出されているということなのですが、事業内容と合わせて教えていただけますか。
山ア:私ども山アダイカストは、ダイカストという聞き慣れない言葉の社名なのですけれど、亜鉛、マグネシウム、アルミニウムなどの合金を溶かして金型に流し込んで圧力で固めて製品を出すという、単純に言えばそういう仕事をしております。ダイカスト合金というのは腕さえよければどんな精密なものでもつくれると言われておりまして、どこまでいけるか挑戦し続ける業界なんです。約30年前、美郷町に工場を建て、今では秋田の工場がほとんどメインとなって、父である社長初め役員も全部秋田に常駐し、もう完全に地場産業という感覚ですね。当然、従業員の皆さんも全員地元の方ですし。今、400名ちょっとですね。菊地さんのお話で、すごく共感した部分があって、弊社の社長も従業員の雇用を守ること、それが企業の責任だと思っていますね。コストダウンの要請に応じて工場を中国に出さなきゃいけないという時も、従業員に「秋田のこの仕事を守るために中国に行かなきゃいけないんだ」と伝えて、協力してもらいました。簡単なものはコストダウンのため中国に持っていき、秋田では新しいもの、難しいものにどんどん挑戦していく。両方でバランスよくやりたいですね。
住田:従業員さんがこの会社で一生頑張ろうという帰属意識は、会社が従業員さんを守るという姿勢があってこそですよね。地元の雇用を安定させようという経営者の考えは、地方だからこそとても大切ですね。

従業員と社長の橋渡し役に

住田:菊地さんはご主人が経営者、山アさんはお父様が経営者ですが、家族で経営することについて難しさはありますか。
菊地:小さな会社ですと、どうしても社長の周囲がイエスマンになりがちですよね、私は心がけて会社のためになると思うことは言うようにしております。主人は、この厳しい状況の中を知恵を絞って何とか乗り切りたいと思っています。地方の小さな会社でも、販路を世界に求めて羽ばたくことができると社員にも知ってもらい、元気を出して欲しいですね。
住田:新しいビジネスにチャレンジして、そのビジネスの一翼を担っているという意識は、金銭には代え難いほどの誇りが持てますよね。山アさんは、社長がお父様というところで何か感じられる点はありますか。
山ア:社長は設計から独立してこの会社を立ち上げ、ダイカストについて当然誰よりも精通していますし、経営者として誰よりも先を見ている。社長が一番頭が柔らかいもので、従業員の皆さんがついていけないこともあるわけですよ。私は経営者の子どもですから、従業員の皆さんに育ててもらったということですよね。社長に遠慮なく物を言える人間として、橋渡し役というか、そういう役目になって多少恩返しできればと思っています。父子で家でご飯を食べているときにも、仕事の議論が始まったりして…つい「社長!」と言ってしまうこともあります(笑)。
菊地:経営者としては24時間仕事のことが頭から離れないですよね。私たち夫婦は普通であれば定年まであと2年というような年齢なのですが、これからは若い世代を育てて、何か次の世代の将来に繋がるものを形にして残してあげたいと思っています。会社を活性化させて、雇用の場を存続させることで地域に貢献したいですね。
住田:そうですね。今の事業が順調な時にこそ、頑張って次の柱をつくり上げる。そうすることで、また多様な人間がビジネスに参加してきて、若い人間が働けるステージも出来てくると、ビジネスも人もうまく回って事業も継承していきますね。
山ア:そういうことですね。父も自分が引退する前に会社をある程度安定させたいと、今、自動車産業参入ですとか新しいことをしています。私は、それをしっかり受け継げるように今のうちに父から勉強していきたいです。
住田:お話しを聞いていますと、お二人とも、仕事も、会社も、従業員も、もちろん経営者の方も大好きな感じが伝わってきますね。
山ア:会社ですから大変な時期もありますが、それでも好きなことは諦めないという感じですね。
菊地:そうですね。社長は中国ビジネスにおいても人に恵まれました。合弁会社をつくるまでの十年間、中国との商売では本当に苦労したようです。半ばあきらめかけていたときに、「私が協力するから一緒に会社を作りましょう」といってくださる方があり、工場を作ることができました。今では、上海と青島にも事務所を開設して、デスクワークの一部をシフトしております。


住田:その縁を呼び込んだのも菊地社長のお人柄とか、誠実な仕事ぶりなのでしょうね。国の歴史的背景や、生活観やビジネス観が違っても、この人は誠実だとか正直だとか温かいとか、そういう「感じる」部分は一人の人間として同じなのでしょうね。それが、ビジネスの根底を支える「なにか」なのかもしれないですね。
菊地:ひとつのビジネスをやる時に、いかにたくさんの人を巻き込んでその夢にたどり着くか。たとえば今もセンターから支援を受けられることになりました。向こうの川岸にたどり着くのに、船が与えられたわけです。確かに自分たちだけで必要なものを積んで船を漕いで向こうに渡ることはできるかもしれませんが、そうではなくて、その船によりたくさんの人を乗せて一緒に渡りたいんですね。達成したときに、喜び合える人が多いほどいいと思うんです。
住田:当然、経営者の方がビジョンを示して、コスト計算をしてリスクとリターンを考えながらやっていくわけですけれども、自分一人ではできないわけですからね。女性というのはコミュニティーをつくるのが非常にうまいというか、「ねえねえ、おいでよ、おいでよ」って自分のペースに巻き込みながら意識せずに人を集めますよね。それがお二人の会社では上手く活かされていますね。

センターの支援があったからこそ

菊地:今回フェニックスプラン21で採択になった事業計画は、私が担当して悪戦苦闘して申請書類を作りました。NHKの「Cool Japan」という番組で、ヨーロッパで日本文化がブームになっていて障子にも関心を持っている人がいると知ったのがきっかけです。自分たちの障子をヨーロッパで売ってみたいという社長の希望を受けて、マーケティングを始めましたが、建具部門は縮小しているので経費が出ない。そこで、ジェトロのシステムを利用させて頂き、日本製品を扱ってらっしゃるオランダの方と知り合い、「お金はありませんが、あなたの目となり耳となり、手となり足となって日本の情報をお送りしますから、私にヨーロッパの情報をください」とお願いしたわけです。10ヶ月間、私なりに市場調査してビジネスチャンスがあるのではと社長に報告し、申請いたしました。
山ア:センターにはとても感謝しているんですよ。私どもの業界は生産の波が非常に大きくて、雇用の安定を果たすということからも、ダイカストという基本路線の他に柱を作ろうということで自動車産業に注目しました。工程が省けてコストが二分の一になる新しいアルミダイカストの成型機械を買って、新工法をものにしたいと考えたのですが、世界でまだどこも成功していなかったため当然賛同を得られなかったんですよ。どうしようというときセンターからフェニックスプラン21を紹介していただいて、その支援をいただかなければ今はないだろうと思いますね。地域の雇用に貢献することと、利益を出して地域に還元していくことはとても大きい責務だと思っていますので、いただいた支援で利益を出して、それを地域に還元することが一番の恩返しなのかな、と一生懸命やっているところです。
住田:地元の企業が生き残るために新しいことをしようとする時に、こういった支援を知っているのと知らないのとでは全然違いますから、もっと広報していただいて、多くの人に活用していただきたいですね。

人と人、秋田にいるからこそビジネスが成り立つ

山ア:住田さんの創業の話がありましたけれども、どのように今のお仕事を始められたのですか。
住田:私は長く秋田市の広告企画会社に勤めまして、仕事が大好きで大好きでずっと働いてきましたが、その反動もあったのか燃え尽き症候群のような、今までと同じ気持ちで仕事やクライアントに向かっていけなくなってしまったんです。これはリセットボタンを押すしかないと、何も決まってない段階で15年勤めたその会社を40歳で辞めました。そして、本当に偶然に名刺交換した情報通信系の誘致企業の方に「秋田での立ち上げを手伝ってくれ」とお誘いを受けたわけです。1年間そのお手伝いをした後、「自分で会社をつくってみよう」と。いままで携わってきた広告・企画・プランニングやデザインの他に、要望を受けて企業の新規事業の立ち上げ支援も行っております。立ち上げ支援は、その会社の方と一緒になって新しいプロジェクトの人づくりから仕組みづくりまで、その企業の一員をして動きます。それこそ、その企業や事業の手となり目となり足となって、事業が一人立ちできるところまで一緒にやっていこうというスタンスでお手伝いしています。
山ア:いろいろと伺っていると、菊地さんもそうですけれども、最後は人と人ということでしたね。秋田は色々な面で不利だと思われることが多いですけれども、地方だからこそセンターなどの支援機関を使うメリットは大きいですし、人と出会うっていう意味からすると、秋田の方が自然とうまくいく部分もあるんじゃないかと思います。
住田:そうですね、私は秋田にいるからこそビジネスが成り立つというふうに思っているんですよ。やりたいことがあれば、菊地さんや山アさんのように、秋田を拠点にして行きたい場所へどんどん出ていけばいい。私自身は秋田というバックボーンがあるからこそ頑張れる部分もありますし、秋田にいるからこそ、秋田以外のところから来た人のパートナーになり得る。そう考えているので私は秋田にいることに意味と意義を感じているんです。
菊地:自然豊かな地方に住んで、世界に向けて仕事をするというのが最高なんですね。それができる時代なんですね。それに、ネットの中から生み出される絆っていうのも同じように素晴らしいものがあるんです。
山ア:信頼関係ですね。地域とか距離は関係ないですね。秋田がホームグラウンドで、そこから世界に発信できるという、この幸せというか。反対に、お客様が日本国内はもちろん世界から秋田に来てくださる。ここからやっていけるということが、我々を含めた地域のメンバーの誇りになっていけばな、と思います。
菊地:ヨーロッパで売り出す障子スクリーンを作っている従業員が、「これイタリアに行くの?」とか「フランスに行くの?」とか、うれしそうなんですね。
山ア:1円でも多くお給料を出してあげたいと思うけれども、今もまだ苦しい時期なので出せない。でも、そうやって、少しでも喜びを持たせてあげたい、やっていることが楽しいと思ってもらいたいですね。3年後、5年後に、それがお給料としても、また会社の利益としても返ってくれば最高だなって思うんです。今日は、菊地さんに非常に共感を持てました。会社への考え方、地域への思い…。
住田:似ていらっしゃいますよね。お二人が話されたように、Win-Winとかロハスとか、そんな言葉が生まれてくる前から秋田にはそういう風土がありますよね。いっぱい仕事をして自然に癒されてまた頑張る。菊地さんのお話を伺って、仕事の原点となるところは、まずは相手に何かやって差し上げて、その後に自分の欲しいものがついてくる形なんだと。
山ア:私どもは、今までお客様や企業の問題をお客様と一緒に協力して解決していくことが、結局、自分たちの仕事につながるという考え方でやってきました。後から自分たちの方に返ってくればいいなという。そのためにも、多くの方と抱えている問題をぽろっと言ってもらえる信頼関係を築いていきたいと思っています。昨年、トヨタ自動車に関係する県内企業が集まって、トヨタ製品の販促、トヨタファン拡大のために「やまゆり会」を立ち上げ、父が会長を務めさせていただいておりますが、これも、自動車部品の業社である私どもが自動車の販売促進に積極的に協力することが、結果として私どもの未来を拓くことになるとの思いからでした。お互いにWin-Winの関係になるのが一番ですよね。

最後に、秋田を元気にする新しい取り組みを続けていかれるお三方に、今後の豊富、決意をお聞きしました。

山ア:新しい機械を導入したダイカストの技術を確立させて、現在それを量産化するということで動いています。私たち地場産業が一人でも多くの人を雇用して、一つでも、一円でも多く地域に還元できるようにというのを大前提として、秋田から、この地域から世界を相手にやれるんだよということを実証していきたいですね。すでに分野をまたいで、あそこにこういう支援がありますよと教えていただけるようになっていますが、センター始め支援機関の皆さんには、より活発に、よりタイムリーに情報をいただきたいです。あとは、実質的、金銭的、物理的な支援も秋田県の将来のために役立つと思ったことに対しては、より強めていってもらえると我々企業としては夢の実現に向けていい足がかりになるんじゃないかなと思っています。
菊地:私どもは、まず、今回ご支援をいただく建具部門で新商品を開発して、海外に新しい販路を広げ会社の活性化につなげたいです。障子の桟や和紙を通した光の美しさなど、障子スクリーンを通して、ヨーロッパの方に日本の伝統美や美意識を紹介したいと思っています。
住田:私の仕事は、企業が太陽だとすると、その太陽を常に側でサポートする月のような役割です。マーケティングの部分や商品のブラッシュアップに関して、企業が必要としてくださる時に必要なお手伝いをしながら頑張っていきたいと思っております。あとは、私自身が創業者なものですから、若い方や女性の身近なロールモデルとして、秋田で創業したいという方々の背中を押すような支援ができたらと思っております。菊地さん、山崎さん、本日は素敵なお話ありがとうございました。
  
(2008年1月 vol.318)