タイトル-経営さぷりメント



企業のメンタルヘルス対策 2
管理職が行うメンタルヘルス
〜精神衛生面の安全配慮義務〜



産業カウンセラー 寺田 誠
安全配慮義務の概念
 職場の環境づくりにおいて、改めて管理職に意識して頂きたいのが、労働者に対しての「安全配慮義務」です。「安全配慮義務」とは、「労務の提供にあたって、労働者の生命・健康等を危険から保護するよう配慮すべき使用者の義務」のことです。つまり、事業主は労働者が安全に仕事ができる環境を整える必要があるということ。身体の安全はもちろん、心の健康についても常に、うつ病などを発症しないように管理監督する責任がある、という意味です。
 この安全配慮義務を怠り、労働者が危険にさらされた場合、事業主に対して民事上の損害賠償請求がなされることもあります。また労災の認定は、この民事賠償と択一的ではありません。労災認定は非常に厳しく、時間もかかるため、労災認定と安全配慮義務違反についての賠償請求が並行して行われることもあるのです。人事・総務の方は「何をいまさら当たり前のことを」と思われるかもしれません。しかしながら改めて、精神衛生面からの“労働力=人間化”という図式を見つめ直す必要があるのではないかと思います。
 以下は安全配慮義務についての裁判例ですが、精神衛生面に重点をおいた画期的判決として注目に値すべきものです。

@「電通事件」
 1991年に、株式会社電通の社員であった当時24歳の青年が、入社以来1年半の過重労働の末うつ病に罹り自宅で自殺。この青年の両親は会社側に対して青年の負担軽減措置を怠った、すなわち「安全配慮義務違反」であるとの訴訟を起こし2000年3月、最高裁においてその訴状が全面的に認められ、会社側は遺族に対して1億6800万円を支払うことで和解した。

A「加古川保育園事件」
 21歳の女性。1993年3月、短大を卒業後就職した兵庫県加古川市の無認可保育園で、過労によりうつ状態になり入院、退職。その1ヵ月後に自宅療養中に自殺した。女性の遺族が保育園に対して賠償訴訟を起こし2000年6月、最高裁において過労と自殺の因果関係を認めて支払いを命じる判決が確定した。退職2ヶ月前の女性の業務は2歳児18人を担当。翌月には新人5人を指導する責任者としての役割を担い、連日10時間以上の勤務や休日出勤もこなしていた。退職直前には精神障害と診断。
 このケースでは退職後の自殺による労災認定もされている。退職後の労災認定はこれまで数例あるが、退職後の自殺の認定は極めて珍しい。

B「パワハラ初の労災認定」
 2003年、某製薬会社静岡営業所に勤務していた男性社員(当時35歳)が自殺した原因は、上司の暴言により精神的に追いつめられた結果(パワーハラスメント)であると、妻が国に対して労災認定を求めた訴訟で、東京地裁は2007年10月15日に原告である妻の請求を認め、パワハラによる労災であるとの判決を初めて下した。
 この男性の上司の発言は「存在が目障りだ。居るだけでみんなが迷惑している。お願いだから消えてくれ」「お前は会社を食い物にしている、給料泥棒!」「どこへ飛ばされようと、俺が仕事しない奴だと言いふらしたる」などであった。
 男性の妻は、同社とこの上司に対して1億円の損害賠償を求める訴訟を起こし、2006年9月に和解が成立している。

精神衛生的安全配慮義務の背景
 安全配慮義務違反についてこれまでほとんど争点とされることのなかった「精神衛生面の配慮」が@の電通事件で初めて判例となりました。「精神衛生面」に関しての問題は「個人の問題」であるとして事業主が管理できるものではない、という文化的意識が強かったためか、なかなか取り上げられることがありませんでした。その意味で「電通事件」は改めて精神衛生が生命の安全に直接の影響を及ぼすという概念をもたらしたと言えるでしょう。
 現在、年3万人を超す自殺者の中で、安全配慮義務違反の怠りによって自殺に追い込まれる労働者が相当数であると推定されています。こういった時代の背景も踏まえて、「精神衛生面」における安全配慮義務の意識が一層高まってきているのです。
 Aの判例では、退職後に自殺した場合でも労災認定と民事賠償が派生するという結果になりました。精神医学的にも、うつ状態では気分の変動があり、これを繰り返しながら回復していく、つまり退職後の自殺でも必ずしも当該労働と切り離して考えることはできない、と言えるのです。
 Bは昨年の判例です。パワハラによる自殺も職場環境から考えれば安全配慮義務違反に当たるというのは容易に判断できるでしょう。特にこれまで、上司の発言は指導・助言として捉えられることがほとんどでした。事実、この事件を担当した静岡労働基準監督署も当初は労災を認めていなかったのです。この判例により、今後のパワハラについては、改めて意識改革とその対策を講じることが必要になってくることでしょう。

「電通事件」の教訓とは〜労働力の人間化を考える
 電通事件の教訓とは何だったのでしょうか。表向きは1人の青年が自殺したことで損害賠償請求が認められたという事件にしか過ぎないかもしれません。しかし、ひと1人の命の重さが1億6000万というのが妥当かそうでないかは別にして、憂うべくは多くの労働者にとって、この事件がどこか遠い町の特別な事件として見られている、ということではないでしょうか。「電通事件」は決して他人事ではありません。それはまかり間違うと、規模の大小に関わらずどの職場でも起こり得ることなのです。  いま一度、みなさんの同僚・部下のメンタルヘルスについて、そして職場環境における労働力の真の「人間化」を考えてみてはいかがでしょうか。

(2008年3月 vol.320)